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「なぜ」を求めて…『謝るなら、いつでもおいで‐佐世保小六女児同級生殺害事件』

  • sw2406
  • 2024年10月4日
  • 読了時間: 8分

更新日:1月15日

2004年6月1日午後2時過ぎ、私の家の上空をヘリコプターが低空旋回する大きな音で目が覚めた。この弓張の山の中腹にある小さい町に似つかわしくない音だった。いつもなら静かな周囲に井戸端会議の声。そして地方ローカルTV番組の冒頭、張り詰めた雰囲気でアナウンサーから放たれた衝撃的な言葉で私は事件を知った。


 目次


 あらすじ

佐世保小6女児同級生殺害事件」2004年6月1日、長崎県佐世保市の大久保小学校で同級生の友人を殺害するという痛ましい事件が起きた。この本には、当時毎日新聞佐世保支局で記者として働いていた著者が、被害者と非常に近い位置から見た「事件のルポタージュ」及び、関係者3名(被害者父・加害者父・被害者の次兄)へのインタビューが収められている。


 出版社・ページ数・価格

出版社:集英社

ページ数:328ページ

価格:1,650円(税込)

ジャンル:ノンフィクション


 著者情報

著:川名 壮志 (かわな そうじ)

事件当時、毎日新聞佐世保支局記者であり、被害差者家族とは親密な関係であった。

現在、東京地方裁判所・東京高等裁判所を足場とした司法取材に取り組んでいる。

他著書にこの事件の被害者兄弟のその後を追った『僕とぼく: 佐世保事件で妹を奪われた兄と弟』がある。


 みどころ

世間を震撼させた「小学生が同級生の女の子を殺害する」という事件。この本は、事件をひとりの新聞記者として、そして「被害児童の父の部下」という立場で追わなくてはならなくなった著者の葛藤と、それでも真実を追求するために記者として走る氏から見たこの事件の記録である。著者が余りに被害者と近い立場でいたために、この方を通して被害児童の父の悲しいとも苦しいとも言えない何とも表現しがたい感情や、周囲の人達の感情が濁流のように襲ってきて溺れてしまいそうだった。一方で加害児童がこのような行動に至った経緯がわからずに困惑する大人たちの「なぜ」。それを追うために、警察、児童相談所、児童自立支援施設、いろいろな大人が錯綜する。法曹界まで動かす。

大人には理解できない11歳少女の言葉や態度は、過去の加害児童の交換日記やインターネット(ブログ)での言動から徐々に紐解かれていき報道の餌となるが、それらは多分殺人事件への直接への道ではなかったと思う。きっと今でも、誰にも、もしかすると加害女児ですら、事件の芯の部分にはたどり着いていないのかもしれない。改めてこの事件をこの本で振り返りそう思った。


 読了時間

3時間程


 評価

まず、この本は第一部、第二部構成となっており、第一部が筆者から追ったこの事件。そして第二部は、被害者の父、加害者の父、そして被害者の兄(次兄)のインタビューが収められている。

第一部。新聞記者として言葉を生業にしているだけあって、まるで小説のような読みやすさだった。もちろん中身は小説などではなく実際にあった事件で、亡くなった被害者がいる。

プロローグ以外、基本時系列に沿って文章は進んでいく。筆者が新聞記者ということから事件の様子は、最初報道の現場から描(えが)かれていくが、合間合間に挟まれる筆者が知る被害女児が元気な時の様子、被害女児の父が娘が亡くなった後の様子など、事件取材の様子だけでなくリアルな被害者のことが嫌でも眼前につきつけられて心臓が痛かった。

第二部。被害者父、加害者父、そして被害者の兄(次兄)へのインタビュー。

それぞれインタビューの時期は異なる。共通しているのは、被害者側は一人称形式(モノローグ形式)、加害者側は三人称形式(ルポルタージュ形式)で書かれていることである。双方とも読みやすく、特に三人目のインタビュイーである被害者の次兄は本人が冷静に当時のことを振り返り答えてはいるが、このインタビュー前に大変な思いをし自分の中に妹の死を落とし込むまでたくさんの困難や苦悩があったことを明かしている。ここまで次兄が打ち明けてくれたのは著者との幼いころからの関係性と、インタビューが事件から10年弱経ってから行われたことにあると思う。そうでなければ次兄からこのような言葉は聞けなかったであろう。


 どんな人におすすめ?

・20年経った今「佐世保小6女児同級生殺害事件」を改めて考えてみたい方。

・当時中学生だった被害者次兄の心情、そして加害者父の心情を知りたい方。


 総括・感想

対象年齢

 18歳以上から(猟奇的な表現があるため)

総合評価

 ★★★★☆


感想

この本で著者から語られる当時を改めて知ったが、私が思う以上の事件現場、私が思う以上の加害女児の感情と事件後の無。私が思う以上の被害女児父そして次兄の心の崩壊。しかし新聞社を始め周りの方々が被害者家族を守ろうと動いていたことを初めて知った、それにだいぶ救われた気持ちになった。

加害女児は一人の友達を殺めてしまったのにもかかわらず、全く裁きを受けることは無い。ただ11歳というだけで「犯罪者」とも呼ばれる事もなく「触法少年」と聞きなれない言葉で呼ばれ、保護される対象となるのに未だに納得はいっていない。被害者家族の心の置き所を丸々無視したこの法は誰を守っているのだろう。

しかし被害者家族から加害者を責める言葉がでないのは不思議だった。娘の友達だったことで相手の女児のことを知っていたらしいのだが、それだけでそんな気持ちになれるものだろうか。憎しみは生まれないものなのだろうか。この辺りのことは私には想像不可であった。次兄がインタビュー(第二章 ぶつけられない怒り)にて加害児童のことを語っているが、多分この次兄による彼女への考察が一番真実に近いのではないかと思う「殺し方は知っているが、その後どういう結果になるかわかっていない」11歳にしては幼すぎて、ネットや小説、レンタルでみたDVDの影響を素直に受け取ってしまう子だったのだろう。

次兄もこの事件で普通に生きる道を奪われてしまった子であるが、20歳前後でのインタビューにかかわらず加害女児への考え方がしっかりしていて、こうやって心の整理をつけるまでにどれだけの苦労をしたのか。この著書のタイトル「謝るなら、いつでもおいで」は被害者父の言葉だと思って読んでいたが、この次兄の言葉だった。このタイトルだけみると、加害女児を赦した言葉かと思ってしまいそうだ、確かに被害者父もこの次兄も彼女に普通に生きて欲しいという言葉を残していたが、決して赦したわけではなくもう“この社会で生きていく”しかない彼女に対して、そして同様にこの社会を生きていくしかない次兄が、お互いに引きずらず前に進む方法のひとつとして「一度謝罪が欲しい」と、そうしたらお互い前に進めるから。加害女児からの謝罪は被害家族にとってのひとつの区切りとして、必要なことだと、だから決して赦す言葉ではなく「区切りをつけるため」の言葉。

これを書いている時点(2024年)で加害者はもう30歳をすぎ、世にでているであろう。

どうかこの次兄の願いがこの10年近くの時間で果たされていることを願ってやまない。



蛇足。

この痛ましい事件を20年経った今、改めて自分の当時を思い出してみた。私は弓張岳の中腹に住んでおり、大久保小学校がある東大久保町の隣町だったため、当時のことは昨日のように覚えている。その頃の私は職が無く自堕落した昼夜逆転生活を送っていたため、冒頭の通り報道ヘリの旋回音で起床することになった。近くにコンビニや食品店もなかったため、山の下に降り毎日新聞社近くにある弁当屋で弁当を買う。山を登るバスまで時間があったため、佐世保警察署と隣にあった毎日新聞社近くまでふらりと野次馬にも行った。もちろんそこにも当たり前のように多数のマスコミが押し寄せていた。家に戻るためにバスに乗る。大久保小学校の前を通る。正門入口から怒涛の人人人。反対側の歩道にも人の山。その中で、道端に座り込みノートパソコンを広げているスーツ姿の男性を妙に覚えている。小学生が亡くなって数時間しか経っていない現場にたくさんの人が群がっている。正直自分も警察署まで野次馬したのにも関わらず、小学校に群がるたくさんのスーツ姿の大人やカメラの数に滅茶苦茶嫌悪感をいだいたのを覚えている。この自分の住むテリトリーを犯し、また事件をテレビで幾度も晒す事で犯された光景は死ぬまで忘れることはないだろう。


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最後に、事件から20年経った(※2024年9月現在)ということで、被害者父 御手洗恭二さんのインタビューが毎日新聞のサイトで公開されています(有料記事)


また事件後、被害者宅に一か月住み込んで遺族のケアをされた御手洗さんの後輩記者が当時のことをラジオで話され、その書き起こしがRKBのサイトで公開されています。この本でも少し触れられていますが、読後に読むとより当時の遺族とその周囲の状況を知ることができます。


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